『「共感」ではなく「理解」からはじめるデザインセッション ++ Gaji-Laboブログ』を読んで思い出した

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わかる〜!    ←🤔
わたしはだいぶ、「共感」を切り離して考えるのに手こずった。

5年ちょっと前くらいに自分をかえりみたのを思い出したので、その時のログを抜粋しておいておく。このときの私は「共感」が主で、「理解」から入るチームメンバーがすごいと思ったんだな。

以下ログ



メンバーが変わったり、一緒に働いている人との関係が悪くなってしまうと、ガクッと気持ちが下がる。

後者(関係悪化)はともかく前者(入れ替り)はどうにかしたほうがいいし割と頻繁にある話だ。
メンバーが変わった当初、相手の気持ちや考えがどこにあるのか理解しきれていないとき、信用できなくてすごく警戒するし、なんだったら軽視してるかもしれない。自覚すると毎回ハッとして心を正すんだけど、自覚するのも正すのも毎回なかなかうまくいかない。

ここ2年くらいは、一緒にやっている人から学ぶことが多かった。新しい人と一緒に仕事の話をするときに、事実をみる、事実だけで話す、相手の話をきく、自分の考えを話す。そういう淡々とした繰り返しと積み重ねで、自然と相手の考えの傾向や、重きをおいているところがみえてくる。

私は、「気持ちが理解できて近い」「不安や心配事をうちあける」とかそういうところから入らないとうまくできないっぽくて、そこが弱点だなと思った。弱点というか、入り口がそこに偏っている、思考の癖という感じ。癖は愛嬌だと思っていて、癖がある自分かわいい! じぶんが、ほんとに、すき!(そうですか)
思考の癖がわかると、次に同じ気持ちになった時に、そういう気持ちになるロジックがわかる。そうすると思考の偏りが見えて、違うアクションがとれそうな気がする。(自分の警戒心に対して)こっちからアプローチしようかな、ここは知りたいけどあとまわしかな、みたいな気持ちがわいてくる。それが楽しみ。前向きで明るくて人にやさしい。