Rubyistに支えられて生きてきた

Rubyのすごい人、という表現で紹介されることがあり、違うんですよ私はRubyは基本的な構文以外はリファレンス見て書くくらいしかできないんですよそもそもRailsの外でRubyあんまり使ったことないしRailsもいつまでたっても子鹿みたいな感じだし、という旨発言すると、Rubyのすごい人とたくさん知り合いですごい、と言われ、それならまあわからなくもないですね、ってなる。

RubyKaigiスタッフやったり、コミュニティなんやかんやしたり、一緒に仕事したりすると知り合いはどんどん増えてくから、コミュニティに関わってから年数が長いということなんだよね。

 

当時の出向先の取引先(遠い)のこだまさんに誘ってもらって、一緒に働いていた人達と一緒に参加した2010年12月4日の札幌Ruby会議03(印象深すぎて日付覚えてる)で、楽しんでコードを書いている人がたくさんいるんだということを知った。こだまさんにしまださんを紹介してもらったり、Ruby札幌のことを知ったりしたおかげで勉強会に行く勇気ももらえた。

 

はじめて参加するRubyKaigi(Final)ではよく喋る札幌勢がほとんどスタッフとして参加していてしょんぼりしていたのだけど、mrknさんがずっと一緒に回ってくれていてとても嬉しかった。当然なんだけどmrknさんについてまわってるとなんかよくわからないくらいすごい人達と喋ることができる(よくわからなくて喋れない)。Ruby札幌の知名度のおかげで自己紹介がしやすく、懇親会で知らない人とたくさん知り合うことができた。

闇RubyKaigi2011で銅鑼乙女やってチャイナドレス着たのもデカかったかもしれない。自己紹介のネタとしてキャッチーだった。RubyKaigiのドラ娘に応募して闇RubyKaigi2011の銅鑼乙女になったんだけど、あれはRubyKaigi2011とは関係ない、別だから、と言ってドラ娘3人の中で唯一スタッフとして http://rubykaigi.org/2011/en/team/ に載せてもらえなかった恨みはずっと持ち続けている(闇を抱え込むタイプ)。話が逸れた!

そういうとこからはじまり、SapporoRubyKaigi2012やRubyKaigi2013でスタッフをやって、アジャイル札幌とかtorubyとかtotekaとかSendagaya.rbとかいろいろ参加したり開催したり、そこから知り合った人たちと一緒に仕事したりして今があるんだよなあ。だから私のすごいとこは、時間で蓄積された故のすごいところ。時間や人々の重みが私を支えてくれているから、すごいと表現してもらえるんだろうな、みたいなことを感じる。

 

余談だけどspring_akiさんと話をするたびに、あのとき話しかけてもらったから今があるんですよ、と言ってもらえるのめちゃくちゃ嬉しい。たしかFinalの懇親会のとき、せっかくだから知らない人と話そうと思って、でも集団に話しかけるのはこわいからぼっちか二人組を狙おう、と話しかけたら何故か立て続けに大阪の人で、今回がはじめての参加なんですよはじめてなのにFinal、大阪から何人か来てるんですよね、という感じで話した中にakiさんがいたのかな。一番最初に話したのかも。気さくに喋ってくれて救われていたんだけど、お互いにそうだったのかなと考えると嬉しいんだよなー。みたいなのを毎年思いだす。