認知特性の違いがおもしろい

むかし違うとこに書いたやつ。該当記事読んでやっぱり楽しかったのでちょっと加筆修正してここにもおいとく!


http://decinormal.com/2015/09/30/alexandria_library/
これと、その続きの反応まとめ
http://decinormal.com/2015/10/03/alexandria_comment/
が好きでたまにふりかえって読む。

最初の記事の中盤で引用されている本に関して疑似科学である旨の注釈が追記されているのに気づいた。
疑似科学の本って、その旨が明記されていない場合は「悪」になってしまうよなー。
この本はそういう類なんだろうか。記事見るとそんな気がする。
2つ目の記事にあるように人それぞれ認知の自覚が違うってことは、やっぱり特性はあるんだろうなあ。
いつかこのあたりの研究がすすんで、科学で解明できるようになるといいな。楽しいだろうなあ。

私は普段常に音声で思考してるタイプで、文を書くときも読む時も考えるときもずっと頭のなかで喋ってるし(よって思考はあまり速くない)、特に何も考えてないときは音楽が流れっぱなし。脳内BGMって言ってる人ってもしかして音声思考タイプなのかもしれないなー。
これは完全にそうじゃなきゃ思考できないわけじゃないと思うけど、得手不得手があるんだろうね。私は映像を想像するのが意外と苦手なんだけど、アウトプットして絵を描くことはできるんだよな。頭のなかで映像を浮かべるっていうのはすごく苦手で、目の前に映像があるように考えるのはできなくもないというか、絵も描いてる途中でインプットして想像ができるようになるというかその、思考の発端が映像にないみたいな。頭の中から映像が出てくるわけではないのだよなぁ。

思考タイプは訓練でも変わる気がしている。絵を描く日々を過ごしていれば頭の中にも映像が出てくるんだろう。描きたいものが頭の中に存在するようになる。映像の思考が苦手だけれど、タビネコだけはいくらでも想像することができる。ただ、色だけは思考で再現するのが難しい。私の思考の中は黒いフィルターがかかっているようにいつも明度が低いのだ。きれいな空を見て何度でも感動できるのは、記憶でなかなか再現できないからだと思っている。
夢をみるのもあれは一種の映像思考なんじゃないだろうか。覚醒に気づいた瞬間に映像が薄く暗くなってしまうのが不思議だ。あれは脳のフルパワーなのだ。いつもフルパワーであってくれ…

小学生のころ一輪車クラブに入っていたのだが、一輪車のことを考えるときはいつも、乗る瞬間の左足ふくらはぎの力加減を思い出す。これは映像でも音声でも言語でもなく、体の感覚の記憶だ。感覚のことを考えるときはいつもとはちょっと違う脳をつかう感じがあるなぁ。一輪車のこと、テニスのこと、編み物のこと、タイピング とか。

私が音声で思考しがちなのも訓練の結果で、3歳の頃からピアノを習っていたからではないかなぁ? と思うけどどうなんでしょうな!